2011年11月12日

【寄稿文】 こどもは小さな哲学者

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Writing!
Writing! / Markus Rödder



考えることをシェアする。

このブログが目指すテーマです。以前から、図案屋が「おっ!この考え方は面白いな」と言う取っておきな人達の意見や考えを、読者のみなさんと広く“シェア”できる方法は無いかと考えていました。

そこで、そういった人達に対してこのブログスペースを開放し、寄稿文の掲載といったコーナーを設けるに至りました。

第1回目のゲストライターは、何回も当ブログで紹介しているアトリエスタ&デザイナーの立石覚(タテイシサトル)くん。アトリエスタ視点の“考える”という考察を“シェア”しましょう。

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寄稿文を読む前に立石くんを詳しく知りたい方はコチラをどうぞ
今の教育にはデザイン思考が必要だと思う訳
葉隠をJAZZに?侍ピアニストが佐賀にやってくる
モデルは子供。ママはデザイナー。親子アルバムワークショップ





<寄稿文>
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 答えが無いから面白い
アトリエスタ(アートワークショップ講師  立石覚/文

Pinewood Derby Workshop - Design
Pinewood Derby Workshop - Design / woodleywonderworks



『ちいさな哲学者たち』っていう映画をご存知でしょうか?

『愛ってなあに?』
『自由ってどういうこと?』


フランスの幼稚園で始まった世界で初めての“子どもたちとの哲学のじかん”“無限の可能性”が溢れ出す2年間の軌跡。

かなり話題になった作品が佐賀のミニシアター シエマで11/19~あります!

興味がある方はチェックしていただきたいですが、「見て!見て!」の強いスタンスでこの文章を書いているのではありません。

映画の詳細に触れるような野暮なことは控えて、私個人の幼い頃の哲学体験に少し触れながら、日本では昔は当たり前にやっていた「子どもが哲学する」ということを考えたい。

個々の宗教や思想といったデリケート(感性/信条など)な部分は軽くスルーしながら読んでいただけると幸いです。


「なぜなぜ?」
「どうして?」


幼い頃は好奇心旺盛で全身全霊、直球サーブ。大人に対して質問責めでよく困らせるものだ。さながら、相手を気にせず千本ノックを打ち続けているような感じ。

森羅万象に疑問符を投げ掛け、禅問答で大人を困らせるのが子どもの性分でもあるような気がする。幼少期の日常生活事態、もの・こと・ひと、何れもが新鮮な未知との遭遇の連続である。

そこで、大人が
「忙しいから…」
「知らない!」

の一言で片付けるのではなく疑問を一緒に考察してみる。その構ってくれている真剣な大人の姿勢/対応を求めているのが子どもだと思う。要は相手にして欲しいという願望が強いのだと思う。一時の独占欲が表出する証。

kids (8)
kids (8) / Greg L. photos


幼い頃は経験値が乏しく毎日が新しい体験の連続である。
歳を重ねる程に時間を速く感じるのも新しい体験が少なくなるからだ。大人ほど、予定調和をしてしまう。

禅なんて大人でも説明するのは難しい。云うに云えぬものである。
ドーナツの穴みたいに…

あるけどない。ないけどある

それが禅だと思う。
カタチを見出だすチカラが問われる。

「間」というものを日本は大事にする。(人間・時間・空間)その感覚を少しずつ身に付けていくのが幼少期だと思う。

日本でも宗派は多々あれど、お寺さんが母体の仏教系保育園/幼稚園はこの手の思想教育が昔からあたり前にある。

しかし、日本にはディベートやディスカッションするという教育システムが古くから定着している訳ではない。

私は幼少期を近畿地方で過ごし、地蔵盆や天理のおじばがえりなどの体験をした。お地蔵様を見ると「オンカカカミサマエソワカ」と唱えるのが自然となっている。そこで感じた体験は深いところにある気がする。難しい問いかけに体感として記憶していった様な気がする。慈愛に沢山触れることなのだ。

職人気質の日本人には古来より教わるよりも真似て学ぶ、体感して自分の血肉に、ものにしていくやり方が好まれ、今尚、定着している気がする。口に出さず、そっと行動で示すのが粋なのである。

Kids with the Earth at the Big Green Gathering
Kids with the Earth at the Big Green Gathering / gavinandrewstewart



幼い頃は、誰しも
哲学者であり
思想家であり
芸術家であり

「表現欲の塊」

そのものだと思う。
全ての通学路は個々の「哲学の道」になっているのだと思う。

その道/未知を楽しめるものにするのは容易ではないが、何事も楽しんだもの勝ちだ。

その道を通った大人も昔は子どもだった。これは間違いない。人間最大の能力「忘れる」これが出来るから前に進めるのだ。

個性的と云われている大人には哲学があり、流されずに流れているように感ずる。「行雲流水の如く」である。

Udo and Luka getting ready for Poker
Udo and Luka getting ready for Poker / juhansonin



子どもが初めて出会う社会が保育園/幼稚園である。そこで家庭とは違ったコミュニティで家族以外と接する時空間が生まれる。

家族以外の大人で、最初に出合う教育者であるのが保育士/幼稚園教諭である。もっと評価されるべき素晴らしい仕事であると思う。個々にあった学び方、学ぶ楽しさのきっかけを教えるのが教育者だと思う。そういった大人との出逢いは子どもにとっては大きい。

私も社会と世界のバランスに悩んだ一人である。答えは解らず時間が解決してくれることもある。未来が過去を解決することもある。自我の芽生えを受け入れ、哲学することで視点も変わるものだ。

想像と創造「イマジネーションとクリエーション」は相手の気持ちを考えないと産み出せない。ものづくり大国日本の最も優れている能力だと思う。

2011の日本だから…
この映画が注目されているのだと思う。

『ちいさな哲学者たち』

日本人は感覚的にやっていたはずである。寺子屋のシステムが最たるものであり、日本を築く素となり文明開花へと華拓いたのだと思う。考えることが多い中で子どもと一緒に哲学し自分なりの答えを導くための会話やコミュニケーションが今の日本だから求められているのではないだろうか。

答えがないから面白いということを知るために…

 




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 追記

立石くんありがとうございました。
またの機会、宜しくお願いします。

彼の活動やイベント情報はこのブログでも紹介を続けていきます。読者のみなさん、是非リアルのワークショップに参加し考える楽しさを“シェア”してみてください。いい発見ができると思いますよ。

図案屋でした。


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今後ともよろしくお願い致します


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Posted by 図案屋  at 22:39Comments(0)寄稿文


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